大阪讀賣新聞 1952年関連エントリー

読売新聞 Ⅰ

... 1952年11月25日 大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊、関西に進出。 1959年5月1日 札幌市に北海道支社開設。現地印刷開始。 1961年5月25日 富山県高岡市に北陸支社開設。現地印刷開始。 1964年9月23日 北九州市に「読売新聞西部本社」設立。現地印刷開始。 ...

読売新聞 Ⅰ

11月25

... 1952年 - 大阪讀賣新聞が創刊。 1953年 - サッカーイングランド代表がハンガリー代表に敗れ、ヨーロッパ大陸のチームにホームで初の黒星を喫する。 1970年 - 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊・東部方面総監部で割腹自決。 ...

11月25

11/25は何の日

... 男爵がオリンピック復活提唱 ・1921年 皇太子裕仁親王(後:昭和天皇)摂政就任 ・1936年 日独防共協定締結 ・1952年 大阪讀賣新聞創刊 ・1970年 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部で割腹自決/憂国忌 ・1977年 ハイジャック防止法成立 ・1986年 有楽町 ...

11/25は何の日

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳平 ...

... 1952年 - 大阪讀賣新聞が創刊。 1953年 - サッカーイングランド代表がハンガリー代表に敗れ、 ヨーロッパ大陸のチームにホームで初の黒星を喫する。 1970年 - 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊・東部方面総監部で割腹自決。 ...

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳平 ...

11月2日、読売新聞創刊の日

... 1952年11月25日、大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊、関西に進出 1966年6月29日、この日から7月2日まで行われたビートルズ日本公演を主催 1975年3月25日、名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊 1977年、発行部数で朝日新聞を抜き日本一となる。 ...

11月2日、読売新聞創刊の日

大阪讀賣新聞 1952年旅行記

小石川後楽園*梅まつりで春を呼ぶ ☆赤桃白も色いろ(by マキタン2さん)

大阪讀賣新聞 1952年
小石川後楽園は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)。1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定され、今日では、都立公園として整備され、一般に公開されている。

1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が築いた庭園を、嫡子の徳川光圀(水戸黄門)が改修、明の遺臣朱舜水の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。出典は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっている。

7万平方メートル以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

小石川後楽園については・・
  • http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index030.html



  • 【旅行時期】2010/02/16~2010/02/16
    【エリア】水道橋・本郷
    【テーマ】花見・紅葉
    【投稿者】マキタン2

    小石川後楽園*雪吊りの庭を歩いて ☆カワセミを見た(by マキタン2さん)

    大阪讀賣新聞 1952年
    小石川後楽園は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)。1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定され、今日では、都立公園として整備され、一般に公開されている。

    1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が築いた庭園を、嫡子の徳川光圀(水戸黄門)が改修、明の遺臣朱舜水の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。出典は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっている。

    7万平方メートル以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がる。
    (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

    小石川後楽園については・・
  • http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index030.html



  • 【旅行時期】2010/02/16~2010/02/16
    【エリア】水道橋・本郷
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】マキタン2

    念願の黒部・立山越え【1】粟巣野駅から歩いた60年前の立山登山(by ソフィさん)

    大阪讀賣新聞 1952年

    2009年8月18日(火)

    黒部ダムが完成し、富山県から長野県に至る交通ルートが出来て以来、若いころの感動を懐かしみながら、一度行ってみたいと思っていたコースに、今回挑戦を果たした。


    初めて立山に登ったのは、今から60年近く前、学生生活最後の夏、昭和27年(1952年)7月21日だった。

    中学以来の親友T君を誘って、立山を歩いた。

    終戦後7年目ではあるが、まだ食料も物資も不足の時代で、地下足袋に握り飯の登山だった。


    昭和22年(1947年)に、第二回国民体育大会が私の住んでいた石川県で開催され、県の山岳会長をやっていた義兄に誘われて「山岳部門」に参加した。

    その時以来私は山の魅力に取りつかれ、学生時代最後の夏に、立山に挑戦と相成った次第である。


    金沢を早朝の一番列車で出発し、富山で電車に乗り換え、当時の終点粟巣野駅で降りる。

    粟巣野駅からその日の目的地室堂(標高2,400メートル)まで、標高差ほぼ2000メートル。


    称名滝を見て、一歩ずつ踏みしめながらゆっくり登ってゆくと、元気のいい登山に不慣れな金沢・近江町市場の若者が、勢いよく抜いて行く。

    しかし弥陀ヶ原(標高1,930メートル)に達する頃には、われわれを追い抜いた人たちは皆音を上げてしまい、結局室堂に着いたのはわれわれが一番先だった。


    地獄谷に見る地球エネルギーのほとばしりは、圧倒的だった。

    次第にガスが晴れ、雲の切れ間に突然出現した山々の雄姿・・・。

    その荘厳な感動的出会いは、今も眼底にこびり付いて離れない。


    写真は、ソフィーさんのマイページ(写真5,800枚)、
  • http://4travel.jp/traveler/katase/


  • スイスの写真が美しい、片瀬貴文さんのマイページ(写真2,400枚)
  • http://4travel.jp/traveler/takafumi/


  • 文字が大きくて読みやすい、片瀬貴文の記録
  • http://blog.alc.co.jp/d/2001114


  • もっと読みやすい「人生漫歩録」
  • http://kk1717.blog83.fc2.com/


  • などもご覧ください。


    【旅行時期】2009/08/18~2009/08/18
    【エリア】立山・アルペンルート
    【テーマ】登山・ハイキング
    【投稿者】ソフィ

    御岳山:武蔵御嶽神社に参拝 ☆神代欅や御師住宅も(by マキタン2さん)

    大阪讀賣新聞 1952年
    秩父多摩甲斐国立公園の表玄関にそびえる御岳山は、標高929m、古くから霊山と崇められた信仰の山です。
      頂上付近からは、筑波山、都心の高層ビル群をはじめ、房総半島、横浜ランドマークタワーまでも望むことができます。また、御岳山は野鳥・昆虫・植物の宝庫としても知られ、春は新緑と仏法僧(コノハズク)の鳴声をたずねて、夏は涼をもとめて苔むした岩間を流れる清流の美しいロックガーデンへ、秋は紅葉と鳴虫の女王カンタンの鳴声に耳をかたむけ、冬の冴え渡る透明度のなか遠く夜景を眺めるなど、四季を通じておおいに自然を満喫できるうえ、子どもから高齢者の方々も気軽に散策できる山として広く親しまれています。
  • http://www.omekanko.gr.jp/cgi-bin/area/area.php?area=mt_mitake

  • 青梅市観光協会HPから引用)

    御岳登山鉄道ケーブルカーについては・・
  • http://www.mitaketozan.co.jp/


  • 御岳山観光協会については・・
  • http://www.mt-mitake.gr.jp/


  • 武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)は、東京都青梅市(武蔵国多磨郡)にある神社。武蔵御岳山の山上に鎮座する。櫛真智命などを祀る。
    中世以降、山岳信仰の霊場として発展し、武蔵・相模に渡る信仰圏を獲得した。式内大麻止乃豆天神社という説があり、旧府社である。現在は神社本庁に属していない単立神社である。

    崇神天皇7年(紀元前91年)の創建とされ、天平8年(736年)に行基が蔵王権現を勧請したといわれる。文暦元年(1234年)に大中臣国兼が荒廃していた社殿を再興し、以降は修験場として知られ、関東の幕府や武士から多くの武具が奉納される。慶長10年(1605年)には大久保長安を普請奉行として本社が、元禄13年(1700年)には弊殿と拝殿が建立された。
    明治に入ると神仏分離によって、それまでの御嶽大権現から大麻止乃豆天神社に改称した。これは当社が延喜式に載せられている「大麻止乃豆天神社」に比定されたためであるが、同様に大麻止乃豆天神社であると比定される神社が他にもあったため(稲城市大丸の大麻止乃豆乃天神社)、御嶽神社と改称した。昭和27年(1952年)に現在の武蔵御嶽神社に改称した。

    本社本殿本社
    拝殿は五間社入母屋造の大き目の社殿で、朱塗りで鮮やかに彩られており、唐破風の向拝には彫刻がある。現在の本殿は一間社神明造で明治10年(1877年)に造営された。
    二柱社
    伊弉諾尊と伊弉冉尊を祭る。本社玉垣内にあり、本殿の向かって左側に鎮座している。社殿は一間社流造の見世棚造である。
    八柱社
    本社玉垣内にあり、本殿の向かって左側に鎮座している。春日社、八幡社、■養社(■=「神」の下に「虫」)、八雲社、座摩社、月乃社、国造社、八神社を祭る。
    (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より引用)


    【旅行時期】2009/08/14~2009/08/14
    【エリア】青梅
    【テーマ】寺社・札所めぐり
    【投稿者】マキタン2

    中南米の旅・思い出のアルバム アルゼンチンのブエノス・アイレス 2(by さすらいおじさんさん)

    大阪讀賣新聞 1952年
    レコレータ地区ではレコレータ墓地で映画で脚光を浴びた、非嫡出児として苦難の幼年期を送りながらフアン・ドミンゴ・ペロン(1895-1974年)大統領夫人にまでのぼりつめたエビータと通称されているマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン(1919-1952年)の墓を参拝した。美術館のような豪華な彫刻の墓が並ぶ墓地だが、エビータの墓は質素でひっそりと佇んでおり、捜すのに苦労した。エビータは貧困者の優遇政策に務め、女性参政権を実現し労働者階級から支持を受けた一方、国政に介入し国費のばらまきを行ったとして知識階級や富裕層、軍上層部からは批判され、現在も評価は分かれているそうだ。エビータの墓が質素だったのはそのためかも知れない。
    墓地の前にある聖母ピラール聖堂を参拝し港に出て1915年建造のレティーロ駅、5月広場などを見学した。
    5月広場周辺には大統領府、大聖堂、サンフランシスコ教会、ブエノス・アイレス博物館、サン・イグナシオ教会、カビルドなど文化遺産がたくさんあった。
    パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並ぶ世界三大劇場の一つ、1908年に建造されたコロン劇場の劇場内ツアーは良かった。イタリア・ルネッサンス様式の豪華な装飾で通常ロイヤル席が100ドル以上、6階のチキン・ボックス(立ち見席)は2ドルとのことでオペラ、バレエ、オーケストラ、アングラ芝居、講演会など1年中使用されていた。コロン劇場では舞台裏も見せてくれ、バレエ、オーケストラのレッスン室、オペラの衣装、靴、アクセサリー、大道具、小道具を製作する部屋などを初めて見せてもらった。
    世界一道幅が広いとされる7月9日大通りのオベリスコからアルゼンチンの流行発祥地、フロリダ通りまで歩くと路上演奏するミュージシャンも多く1858年創設のカフェ・バー、カフェ・トルトーニ、タンゴの歴史や著名な舞踏家を紹介するタンゴ博物館などを見学した。

    関連旅行記-中南米・バックパッカーの旅【20】 南米のパリ、アルゼンチンのブエノス・アイレス1日目と2日目-
  • http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/

  • 関連旅行記-中南米・バックパッカーの旅【21】 南米のパリ、アルゼンチンのブエノス・アイレス3日目と4日目-
  • http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058545/

  • 関連旅行記-中南米・バックパッカーの旅【22】 南米のパリ、アルゼンチンのブエノス・アイレスで出会った人達-
  • http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058550/

  • (写真はエビータの墓)

    【旅行時期】2006/03/21~2006/03/25
    【エリア】ブエノスアイレス
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん